モーターが“考える”時代へ Agentic AIが変える産業制御
家庭用ロボット掃除機は、床に置かれたスリッパを避けながら走行できます。一方、生産現場ではどうでしょうか。例えば、高価なサーボモーターのベアリングに摩耗の兆候が現れた場合でも、多くのケースでは故障が顕在化するまで稼働が続けられます。
従来のモーター制御は、与えられた命令を実行することに特化しています。ベアリングの異音や温度上昇、電流高調波など、異常の予兆を示すデータが存在していても、それらの意味を自律的に解釈し、先回りして対応できるとは限りません。これは制御システムの性能不足ではなく、その設計思想によるものです。多くの制御システムは決定論的なPID制御ロジックを中心に構成されており、状況を理解して判断する機能を備えていません。
こうした中、組込み制御アーキテクチャへAgentic AIを取り入れる動きが注目を集めています。これは単なる制御の高度化ではありません。リアルタイム制御の上に、意思決定、自律的な調整、状況認識能力を加えることで、制御システムに“考える力”を与えるアプローチです。
アヴネットは、半導体メーカーと産業分野の顧客をつなぐ技術パートナーとして、この先進的なコンセプトを実装可能なシステムレベルのソリューションへと変える取り組みを進めています。特にアジア太平洋地域で進む製造業の高度化に向けて、デバイス選定からシステムアーキテクチャ設計、AIモデルの実装までを支援し、“考えるモーター制御プラットフォーム”の構築をサポートしています。この変革は、大きく3つの技術的な進化として理解できます。
ルール駆動から目標駆動へ:命令ではなく目的に基づく制御
従来の制御は主にルールベースで動作します。「温度が80℃を超えたら回転数を下げる」といった明確な条件と動作の組み合わせです。生成AIによって人と機械の対話は自然になりましたが、多くのシステムは依然として受動的です。ユーザーが指示しなければ何も実行されません。
これに対し、Agentic AIの大きな特長は自律性にあります。単一の指示を与えるのではなく、例えば、「安全性を確保しながら生産ラインの効率を最大化する」という目標を与えると、Agentic AIはその目標を複数のタスクへ分解します。センサーデータの監視、振動傾向の分析、ベアリング寿命の予測、速度低下の必要性判断、保守作業指示の生成、適切な停止時間帯の選定などを自律的に実行します。
重要なのは、Agentic AIが制御システム全体を置き換える必要はないという点です。例えば通常運転時の省エネルギー最適化のみを担当し、異常時には従来の決定論的制御へ切り替えることも可能です。この「限定された自律性」は、産業用途において安全性と知能化を両立する有効なアプローチといえます。
マイクロ秒単位の制御でAIの演算リソースを確保する
制御システムにAIを導入する際の課題の一つが演算リソースです。AI推論にもCPU処理能力が必要ですが、モーター制御ループも同様にCPUを使用します。同じMCU上で両者を実行する場合、リソース競合は組込みAIにおける大きな技術課題となります。
代表例であるFOC(Field-Oriented Control: ベクトル制御)では、Park変換やClarke変換、ローター角度推定など、多数の行列演算や三角関数演算が必要になります。これらをソフトウェアのみで処理するとCPU負荷が大きくなり、AI処理に割り当てられる余裕は限られてしまいます。
この課題に対して、アヴネットのパートナーであるInfineonの「PSoC™ Control C3」は、解決策の一例です。内蔵されたCORDICアクセラレータが角度演算や三角関数生成を高速化し、DSP命令が行列演算を効率化することで、CPU負荷を軽減します。
重要なのは、AI専用チップを追加することではありません。同じMCU内で制御処理をより効率化し、そこで生まれた演算リソースをAgentic AIに活用することです。
大規模AIモデルを組込み機器で活用するために
Agentic AIは一般的に大規模言語モデル(LLM)を活用して推論や計画立案を行います。しかし、多くの産業向けMCUのメモリ容量は数百KBから1MB程度です。この制約に対して、実用化に向けた3つのアプローチが進められています。
1つ目は、重みの量子化です。モデルパラメータを32ビット浮動小数点から8ビットへ量子化することで、必要なメモリ容量を大幅に削減できます。また、重要な層では高い精度を維持し、それ以外の層ではより積極的に量子化する混合精度の手法も活用されています。
2つ目は、小型モデルの活用です。TinyLlamaやSmolLMのような軽量モデルは、エッジ用途向けに設計されています。大規模モデルよりもパラメータ数は大幅に少ないものの、特定の産業用途では十分な精度を実現できます。
3つ目は、エッジとクラウドの協調推論です。まずローカルの軽量モデルで推論を実行し、リアルタイム性が求められる判断を担います。多くの場合、ローカルで推論を完結できるため、ネットワーク接続は必要ありません。より複雑なケースが発生した場合のみ、クラウド上の大規模モデルを利用して結果の検証や補完を行います。
これらの技術により、Arm Cortex-M33ベースの一般的な産業用MCUでも、「検知・判断・実行」のサイクルをローカル環境で実現できる可能性があります。クラウドに依存することなく、ミリ秒単位で判断を完了でき、ネットワークに接続されていない環境でもシステムの動作を継続できます。
知能化が進んでも譲れない「機能安全」
Agentic AIがどれほど進化しても、産業制御には絶対に守るべき境界があります。それが機能安全です。実際のシステムでは階層型アーキテクチャが有効です。
- AI層:分析、予測、推奨などの「考える」役割
- 制御層:PID制御やモード切替などの「実行する」役割
- 安全層:過電流保護や緊急停止など、最終防護を担う役割
Infineonの「MOTIX™ TLE9954」は、この考え方を体現した製品です。三相ブリッジドライバ、OptiMOS™パワーデバイス、Arm® Cortex®-Mコアを統合したSiP構成を採用し、ISO 26262 ASIL Bの機能安全要件に対応しています。また、電流検出アンプや12ビットADCも搭載しており、Agentic AIが判断するために必要なデータをチップ単体で収集できます。
まとめ
単に回転するだけのモーターから、“考えるモーター”への進化には、制御処理を効率化するハードウェアアクセラレータ、組込み向けに最適化されたAIモデル、そして機能安全を確保するアーキテクチャが不可欠です。
アヴネットはInfineonをはじめとするパートナー企業とともに、デバイス選定からシステム設計、AIモデル実装までを包括的に支援し、インテリジェント制御の実用化を推進しています。モーターが考えるようになったとき、その一回転一回転はより大きな価値を生み出すことになるでしょう。